今川 義元(いまがわ よしもと)は、戦国時代の武将、駿河国及び遠江国の守護大名・戦国大名。今川氏第11代当主。婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義兄弟にあたる。海道一の弓取りの異名を持つ。 寄親・寄子制度を設けての合理的な軍事改革等の領国経営のみならず、外征面でも才覚を発揮して今川氏の戦国大名への転身を成功させた。所領も駿河・遠江から、三河や尾張の一部にまで拡大する等、戦国時代における今川家の最盛期を築き上げるも、尾張国に侵攻した際に行われた桶狭間の戦いで織田信長に敗れて毛利良勝に討ち取られた。
赤鳥 あかとり
由来は、今川家の祖・範国が受けたご神託「我、赤鳥をさし向けたが故に勝つ事を得、この国を給いき」である。 しかし、実際には「赤鳥」は当て字であり、馬の毛を漉く「垢取り」を意味しているといわれる。