薩摩国の武将、大名。戦国大名の島津義久の弟で、島津氏の第17代当主(後述)。島津氏18代当主・島津忠恒(のち家久に改名)の父。後に剃髪して惟新斎[2](いしんさい)と号しため、惟新公との敬称でも呼ばれた。武勇の誉れ高く、「鬼島津」の異名で知られ、戦国(安土桃山)時代でも屈指の猛将として当時から有名であった。
丸に十文字 まるにじゅうもんじ
島津家が用いていることで有名。派生形も多く、島津一族だけでも70近い「丸に十文字」を使用しているといわれる。 島津家は平家追討ちで武功を挙げ、鎌倉時代に征夷大将軍・源頼朝より拝領した。