伊達 政宗(だて まさむね)は5歳のときに重い疱瘡にかかり一命は取り留めたが右目の視力を失った。後世独眼竜と呼ばれた。 虎哉和尚の教育や片倉小十郎景綱に鍛えられ大きく成長した政宗は、詩歌や茶道の才能もあった。 若い頃は戦にあけくれ、奥州一の大名となったが天下は豊臣秀吉によって治められた。 徳川に世が移ってからは、家康・秀忠・家光と3代にわたり幕府と深いかかわりをもち、将軍から信頼を得ていた。また、土地の改良や街づくりに力を入れ現在の仙台市の町並みや宮城県が国内有数の米どころとなったのも政宗の尽力のたまものといえる。
竹に雀 たけにすずめ
伊達正宗はこの「竹に雀」のほか、豊臣秀吉から拝領した桐紋や「縦三つ引両」など、さまざまな紋様を用いた。