戦国武将の家紋シリーズ
41.小早川秀秋
小早川 秀秋(こばやかわ ひであき)は、安土桃山時代の大名。丹波亀山城主、筑前名島城主を経て備前岡山藩主。名は関ヶ原の戦いの後に秀詮(ひであき)と改名した。
豊臣秀吉の正室・高台院の甥。秀吉の親族として豊臣家では重きをなしたが、小早川隆景と養子縁組した後には、関ヶ原の戦いで徳川家康の東軍に寝返り、豊臣家衰退の契機を作った。
家紋名
丸に違い鎌 まるにちがいがま
由来・意味
「鎌紋」の一種である。
農具として五穀豊穣への願い、そして武器として戦勝の願いが込められている、と考えられる。